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御巣鷹山(御巣鷹の尾根)は心霊スポットなのか・日本航空123便墜落事故の不思議な話とその真相

1985年8月に群馬県多野郡上野村にある高天原山で起きた、日本航空123便墜落事故。御巣鷹の尾根に飛行機が墜落したことから「御巣鷹山飛行機事故」とも呼ばれるこの事故は、世界最多の犠牲者を出した単独飛行機事故として今もなお語り継がれている。

また事故の悲惨さゆえか、御巣鷹山には不思議な噂が流れており、山中や慰霊の園が建立された周辺の土地で心霊現象や心霊体験の報告もあがっている。オカルト好きの間では、山周辺の一帯が群馬県内指折りの心霊スポットとも囁かれている様子だ。

今回は日本航空123便墜落事故について振り返るとともに、救助に参加した自衛隊員や御巣鷹山にまつわる不思議な話について紹介していく。

記事の内容

  1. 群馬最恐の心霊スポット・御巣鷹山と日航機123便事故
  2. 日航機123便墜落事故とは
  3. 凄惨をきわめた事故現場
  4. 524人の搭乗者のうち生存者は4名のみだった
  5. 慰霊の園と慰霊碑が建立され現在も慰霊登山も行われている
  6. 事故後の御巣鷹山をめぐってさまざまな噂が流れる 
  7. 事故は自衛隊が起こした?
  8. えた少年
  9. 事故発生から救助まで空白の時間がある
  10. 今思うと…虫の知らせを感じた人たち 
  11. 御巣鷹山であったとされる心霊現象
  12. 自衛隊員と山を降りてきた霊
  13. 周辺のトンネルでたびたび目撃される女の子
  14. 上野で異界に迷い込んだ男性
  15. 位置情報アプリに事故機の情報が出現?
  16. 事故後のPTSDに苦しむ自衛隊員の心霊体験 
  17. 藤岡市民体育館で起きた心霊現象 
  18. 総括:御巣鷹山(御巣鷹の尾根)は軽々しく向かう心霊スポットではない

群馬最恐の心霊スポット・御巣鷹山と日航機123便事故

群馬県と長野県の県境にまたがる高天原山は、古事記にも登場する霊峰である。この高天原山系の一部である無名の尾根に1985年8月12日、日航機123便が墜落する事故が起きた。

しかし事故発生当時はどこに飛行機が落ちたのかわからず、確認がとれないまま高天原山に隣接する御巣鷹山で墜落事故が起きた、と報道機関が発表してしまった。

そのため上野村の村長であった黒沢丈夫氏が、悩んだ末に墜落現場である高天原山系の無名の尾根に「御巣鷹の尾根」という名前をつけたそうだ。

墜落現場となった無名の尾根は、江戸時代の中頃から将軍家の鷹狩に使われていた土地であり、一般の人々が立ち入ることが固く禁じられた場所であったという。そのために事故当時も原生林となっており、地元の人であっても立ち入ることも、気にかけることさえない場所だった。

しかし捜査や報道をするにあたり無名の尾根のままでは不都合であったので、墜落地点からそう遠くないうえ、すでに報道で名前の出ていた「御巣鷹山」から名前を借りたのである。

このような経緯から日光便墜落事故が起きたのは御巣鷹山であると誤解されがちなのだが、実際に事故が起きたのは隣の高天原山の尾根なのだ。

下の地図を見ていただけば、御巣鷹山と実際に飛行機事故が起きた御巣鷹の尾根(現在は慰霊碑が建立されている)の間には距離があることがわかるだろう。

だが、「御巣鷹山飛行機事故」とも呼ばれるほど、現在では御巣鷹山と日航機墜落事故が深く結びついてしまっているため、本記事では高天原山の尾根のことを御巣鷹山として記載させていただく。

凄惨な事故や悲しい事件が起きた場所は、後に心霊現象が多発する心霊スポットとして噂になることが多い。御巣鷹山(実際には高天原山の尾根だが)でも、日航機123便墜落事故以降、さまざまな心霊体験が報告されている。

まずは日航機123便墜落事故とはどのような事故であったのか、見ていこう。

日航機123便墜落事故とは

1985年8月12日の18時56分30秒頃、東京の羽田空港と大阪の伊丹空港を結ぶ日本航空の定期便であった123便が、群馬県多野郡の高天原山の尾根に墜落した。

同機は墜落する30分ほど前の18時24分35秒頃の伊豆半島に差し掛かった時点で機体後部の圧力隔壁が破損しており、機内には警報音も鳴り響いていたという。

ただならぬ異変を察した機長は羽田空港に戻って緊急着陸しようと必死に試みるも、機体は操縦不能に陥ってしまい、エンジンや尾翼も相次いで脱落。ほぼ裏返しになったような状態で、尾根に突っ込んでいったという。

発見された日航機123便は原型をとどめていない状態であり、離脱した左右の主翼は周辺の木々とともに燃え上がっていたという。

1978年に運輸省(現在の国土交通省)が公表した「事故調査報告書」によると、事故の原因はを機体を製造していたアメリカ・ボーイング社の修理ミスであったとのことだ。

しかし、誰がミスの責任を取るのかは明らかにはならなかった。群馬県警は業務上過失致死傷の容疑でボーイング社および日本航空ならび運輸省の関係者を書類送検したが、前橋地検が嫌疑不十分として全員を不起訴扱いとしたためだ。

そのため事故から30年以上が過ぎてもなお、その真相や責任の所在など不明な点も多い。

凄惨をきわめた事故現場

墜落した日航機123便の機体は尾根の谷底まで唐松の林をなぎ倒して山肌をえぐり、黒煙をあげながら瓦礫の山を作った。頑強な飛行機がそのような状態であったのだから、乗客たちも無事では済まなかった。

事故現場では、4万平方メートルにも渡ってバラバラに犠牲者の手や足など体の一部が散らばっていたという。飛行機に乗っていたのは524名であったのに数千もの部分遺体が飛散しており、まさに地獄絵図の様相だったとされている。

遺体を運ぼうにも背負って山を降りることができる五体が揃った状態のものばかりではなかったため、自衛隊の空挺団は徹夜で遺体を収容するための中型ヘリコプターが着陸できるヘリポートをつくった。

不眠不休でつるはしとスコップをふるって尾根の南東の急斜面にヘリポートをつくり、8月14日と15日の2日にわけて、毛布でくるんだ遺体をヘリコプターに乗せて、藤岡第一小学校まで運んだそうだ。遺体が腐敗してしまうため、時間との戦いであった。

墜落事故の現場からは、炎上をまぬがれた遺書も発見されている。飛行機に異変が起きてから墜落するまでには30分もの時間があったため、その間に震える手で遺書を綴った方も少なくなかったのだろう。

飛行機に備え付けられた汚物入れの袋に入れに殴り書きで書かれた遺書は、家族に届くように袋の中に免許証が入れられていたという。

524人の搭乗者のうち生存者は4名のみだった

日航機123便には524名の搭乗者がいたが、墜落事故後の生存者は4名のみであった。なお生存者はみな女性で、飛行機の後方の座席にいたという共通点があった。

事故時、飛行機は時速700km近い速度を落とさないまま尾根に突っ込んでいったため、墜落と同時に機体の前半分は爆発を起こしたという。しかし後ろ半分はかろうじて山肌を滑り落ちるようなかたちでの墜落となったため、僅かながら被害が少なかった。

この4名が救助されたのは、墜落地点から約240m程下ったところにあるスゲノ沢と呼ばれる場所であった。

スゲノ沢付近からは200名もの遺体が見つかったが、欠損部位のない完全な状態の遺体は160体と最も多かったとされている。飛行機の最後部の座席にいたため、亡くなってはいても遺体の損傷は少なくて済んだのだろう。

後方の座席にいたことに加え得て一変的に女性は男性に比べて体重が軽く、体が柔らかいことも手伝って生存に繋がったのではないかと考えられている。

しかしながら同じく後方の座席にいた女性であっても亡くなった方は多いことから、生存できたのは奇跡としか言いようがないとも指摘されている。

この便に乗り合わせて命を落とした方のなかには歌手の坂本九さん、元宝塚歌劇団の娘役の北原遥子さん、ハウス食品工業社長の浦上郁夫さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇さんらもいた。

慰霊の園と慰霊碑が建立され現在も慰霊登山も行われている

墜落現場となった御巣鷹の尾根には、1986年の8月に昇魂之碑が建立された。この碑は群馬県多野郡の有志が寄贈したもので、標高1,539mに位置する慰霊碑を目指す慰霊登山もおこなわれている。慰霊登山は誰でも可能だが、毎年8月12日におこなわれる登山には遺族のみが参加可能となっている。

同じく1986年8月1日に上野村楢原地区には慰霊の園も設立された。慰霊の園には彫刻家の半田富久氏が設計した慰霊塔のほか、身元不明の犠牲者の納骨堂や、事故写真や遺品などを展示した展示棟もある。

事故後の御巣鷹山をめぐってさまざまな噂が流れる 

日本の歴史に残る大事故であったにもかかわらず、日航機123便墜落事件では裁判さえおこなわれなかった。責任の所在がはっきりしなかったことから、墜落事故後は事故の真相と御巣鷹山をめぐってさまざまな不思議な噂や陰謀論などが囁かれた。

ここでは御巣鷹山や墜落事故にまつわる不思議な話とその真相について紹介していく。

事故は自衛隊が起こした? 

表向きは事故の原因は修理ミスだとされているが、本当は陸上自衛隊が88式地対艦ミサイルを誤射してしまい、それに当たった日航機123便が墜落したのだ、という噂も流れた。この説によると、ミサイルの誤射という自衛隊のミスを隠すために墜落場所が御巣鷹山と間違えて報じられたり、その後の裁判も歯切れが悪く終わったのだという。

しかしながら自衛隊によると、88式地対艦ミサイルは艦船の撃破を目的としているため、速度の早いジャンボジェット機を撃ち落とすことはできないという。また墜落事件当時、88式地対艦ミサイルの射撃実験はまだおこなわれていなかったことからも、自衛隊が事故を起こしたとは考えづらい。

なにより事故現場の最前線で救助活動をおこなったのは他ならぬ自衛隊である。作業に携わった自衛官全員に箝口令を敷き、事故の原因を隠すことが可能だったとは思えない。墜落事故は自衛隊のミスだったというのは、単なる噂だと言えるだろう。

消えた少年

日航機123便墜落事故での生存者は4名、全員女性である。しかし上の画像では少年が自衛隊員に救出される様子が撮影されており、この画像の少年の行方はどうなったのか?と疑問視する声があがった。

この少年については、事件当時には現場から中継を繋いだ生放送で、フジテレビの山口真記者が「今12、3歳の少年が救出され自衛隊員に担がれ尾根に向かいました。まもなく自衛隊のヘリコプターで救出されるものと思われます」と報じていた。

そのため山口記者の説明や、明らかに救助された負傷者に見えた少年の様子からして一命をとりとめたと感じた視聴者が多かったのだが、最終的に発表された生存者のなかに少年らしき人物はいなかったのだ。

このことから「あの男の子はどこに行ったのだろう?」「消されたのではないか?」といった憶測が流れるようになり、現在でも「御巣鷹山・少年・タブー」といったワードでネット検索をしている人が少なくない。

今も少年の行方や彼の名前などはわからないままだ。しかし残念ながら自衛隊が発見した時にはすでに亡くなっていたか、救助後に息を引き取ったのではないかと考えられる。

事故発生から救助まで空白の時間がある

日航機墜落事後、航空自衛隊が事故現場を確認したのは翌朝の4時30分頃だったという。事故が起きてから10時間以上経って現場に救難隊のヘリコプターが来たことになる。そして実際に救助活動がおこなわれたのは、そこから更に4時間以上が経った午前8時30分からであった。

これについても自衛隊が意図的に発見を遅らせたという噂が流れた。また事故後、日航機123便には 放射性医薬品である医療用のラジオアイソトープが積まれていたことが明らかになったことから、墜落によってアイソトープが飛散し、事故現場一帯では放射能汚染が起きている可能性があるために陸上自衛隊が救助に向かえなかったという話もあった。

しかし実際には高天原山の長野側の尾根に墜落した等の誤情報が入ってきたために情報が錯綜し、群馬県警も自衛隊も正確な墜落場所の把握が遅れたことが救助までに時間がかかった最も大きな原因とされている。

事故当時、犠牲者の身元確認をおこなった元高崎署の刑事官である飯塚訓氏も著作「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」で、8月12日の夜から13日未明までの間、さまざまな情報が流れて混乱状態にあった事故対策本部の様子を綴っている。

これまで名前もつけられていなかったような尾根に墜落した飛行機を地上から探すのは困難であったため、空からの情報を頼りに地上でも捜索を続けたものの、目印ひとつない夜の山中では動くこともままならなかったそうだ。機動隊も猟友会の先導で、懐中電灯の明かりだけを頼りになんとか山中に分け入って捜索していたという。

また空から場所がある程度特定できたところで、着陸する場所もないような急斜面にヘリコプターが突っ込んでいけば二次災害を起こすおそれもある。そのため場所の目星がついてから救助を始めるまでにも、時間がかかってしまったのだ。

ただどのような理由であったとしても、あと少しでも早く現場に救助隊が到着できていたら助かる命があったかもしれない。そのことを最も悔やんでいるのは、実際に救助に向かった自衛官や警察官の方々にほかならないだろう。

救助隊の方々の必死の捜索活動を思えばこそ、仕方がなかったこととはいえ救助までに時間が空いてしまったことが悔やまれてならない。

今思うと…虫の知らせを感じた人たち

日航機123便に搭乗し、亡くなった歌手の坂本九さん。坂本九さんは8月12日の朝、自宅の庭で空を見ながら「今日は雲が流れるのが速い。こんな日は飛行機には乗りたくないな」と次女の舞子さんにこぼしていたという。

また今は亡きアナウンサーの逸見政孝さんは大阪に向かうために日航機123便に乗る予定だったものの、直前になってなんとなく気が変わって搭乗をキャンセルして、新幹線の切符を取り直したそうだ。そのため事故に遭わずにすんだ。

坂本九さんの次女の舞子さんは「後から思えば事故の前日から父の様子がおかしかった気がする。何か感じていたのかもしれない」とも語っており、大事故を前に虫の知らせを感じていた人も少なくなかったのかもしれない。

御巣鷹山であったとされる心霊現象

悲しい事件が起きた場所では、さまざまな心霊体験が報告される。御巣鷹山の尾根やその周辺も例外ではなく、事故から現在に至るまで数多くの心霊現象の噂が流れ、一帯は心霊スポットとしても有名になった。

ここでは御巣鷹山の尾根周辺で起きたとされる心霊現象をいくつか紹介していく。

自衛隊員と山を降りてきた霊 

御巣鷹の尾根のふもとのスナックを営んでいるママの話だ。雨が降る晩、店じまいをしようとママが準備をしていると、3人の常連客が店に入ってきた。いつもは賑やかな客なのだが、どういうわけかこの日は顔色が悪く口数も少ない。

さらにお店を手伝っている女の子も3人を見た途端、固まってしまい全く仕事が手につかなくなってしまう。ママは不思議に思いながらも話を盛り上げようと接客に励むが、結局3人は終始無口なまま。気まずい空気だけが流れ、1時間程度で店を出ていってしまった。

3人の客が帰った後、店の手伝いの女の子が「ママ、私、見えるんですけど…」と青ざめた顔で話しだした。「あの3人のお客さんたちに、何十人もの霊がしがみついてたんです」。

幽霊の顔はみな一様に青白く、年齢は老若男女さまざまだったそうだ。怖い話が嫌いなママは女の子の話を深く聞かなかったという。

後日、また3人の常連客のうち1人が店を訪れた。あの雨の夜とは打って変わって明るい様子で「ママ、前はごめんね。あの日は任務帰りで気が重くてさ」と、雨の日のことを謝罪してきた。

3人の常連客は航空自衛隊に所属する自衛官だった。任務内容については詳しく話せないとはぐらかされたが、この頃3人は日航機墜落事故の現場作業に就いていた。

ママは(きっと、あの日女の子が見たという霊は御巣鷹の事故で亡くなった方たちのもので、どうしても麓に降りてきたくて3人についてきたんだ)と察したという。

なお霊感があるというお店の女の子の見立てによると、スナックに居着いてしまった霊はおらず、みんな自衛官とともに外に出ていったそうだ。きっと自分たちが帰りたい場所に戻っていったのだろう。

周辺のトンネルでたびたび目撃される女の子

国道299号線上に開通された父母トンネルは、群馬県多野郡上野村乙母にある全長600m程のトンネルだ。このトンネルでは深夜になると小学生から中学生くらいの女の子が現れ、「大阪はどっち?どうすれば行かれる?」と尋ねてくるという心霊体験が報告されているという。

御巣鷹山の尾根が近いことから、この女の子は自己犠牲者の霊ではないかと噂されている。この女の子のほかにも、御巣鷹の尾根周辺では「大阪はどっちですか?」と聞いてくる女性の霊や、スーツを着た男性の霊を見たという報告が見られた。

上野で異界に迷い込んだ男性

群馬県上野村にある上野ダムに、国土交通省が配布するダムカード(カード型のダムのパンフレット)を貰いに行った男性の話だ。

上野ダムでダムカードを貰った男性は、国道299号を目指して山道を車で走っていた。しかし行けども行けども国道299号線にたどり着けない。時間は17時を過ぎており、周囲は暗くなり始めていた。

気がつくと一車線ほどの幅しか無い山道に入り込んでしまった男性が、完全に迷ってしまったと思い、ダム方面に一度戻ろうとしたところ、路肩に「この先〇〇地区(地区の名称は消えかかっていて読めない)」と書かれた看板が見えた。

さらに道の先を白い車が走っていくのが見えたため、男性は「あの車についていけば、民家がある場所に出られる。そこで道を聞こう」と思い、白い車の後を着いていったという。

しかし車の後を着いていったも一向に民家は見えてこない、それどころか同じ場所をぐるぐる回っているだけのような気もしてきた。気晴らしにとラジオをつけると野田幹子さんの「太陽・神様・少年」という曲が流れた。1987年にリリースされた曲だ。

男性が「懐かしいな、むかし流行ったけな」と思っていると、なんとラジオのパーソナリティが「今CMでも話題の太陽・神様・少年をお送りしました!」と紹介したのだ。

呆気にとられていると、番組は「お相手は〇〇でした〜」とパーソナリティの名乗りとともに終了。男性は青ざめた。なぜならそのパーソナリティは数年前に他界していたのだ。

呆然としてパニックになったまま運転していると、進行方向に看板が見えた。看板には「この先、御巣鷹」と書かれていた。このまま車を走らせては危険だ、と直感した男性は路肩に車を止めた。ガソリンの残りも少なく、どうすべきか状況整理をしていると車のヘッドライトが照らす先にバイクに乗ったおじさんが現れたという。

なぜかそのおじさんに安心感を覚えた男性は、おじさんに先導されるようにして車を走らせ、そのまま10分もすると国道近くの日帰り温泉に着き、無事に国道299号線に出られたそうだ。

後に男性は自分を先導してくれたおじさんはどうやら物心付く前に亡くなっていた実の父親らしいこと、そして御巣鷹の尾根近辺には異界が広がっていて迷い込んでしまったのかもしれないと考察している。

位置情報アプリに事故機の情報が出現?

2020年8月6日の午前0時、リアルタイムで航空機の位置情報を表示する「Flightradar24」というアプリに「JL123」というコード名の航空機の情報が反映されて話題を呼んだ。

JL123とは日航機123便のことを指し、123便は墜落事故以降は欠番となっている。つまり、存在しないはずの航空機の情報がアプリ上に出てきたのだ。

「どういうこと?怖い!」「お盆が近いから?あの世から帰ってきたってこと?」とネット上でもこの現象を怖がる声が数多く上がり、騒然とした。

しかし、この件はのちにJALから「位置情報の確認テストをするために欠番で入力が簡単な123便を使ってしまった。こんな騒ぎになるとは思わなかった」というアナウンスがあり、心霊現象ではないことが明らかになった。

事故後のPTSDに苦しむ自衛隊員の心霊体験

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「奇跡体験アンビリバボー」などのTV番組にも出演している霊能力者の下ヨシコさんも、御巣鷹山と心霊現象について自身のYouTubeチャンネルで話をしている。

下さんによると、墜落事故の救助作業に参加した自衛官のなかには、任務後からクーラーや冷蔵庫の動作音が亡くなった人のうめき声に聞こえる、夜中に天井に無数の死者の顔が見えるといった症状に悩まされて心を病み、入院した方も少なくなかったそうだ。なかには下さんのもとに相談に訪れた人もいたという。

自衛官の方々が体験したのは心霊現象なのか、それとも凄惨な事故現場を目の当たりにしたことによるPTSDなのかはわからない。

いずれにしても犠牲者や遺族の方のみならず、事故現場で作業をした自衛官や警察官、検死を行なった医師や看護師の方々の心も今は安らかであってほしいと願わずにはいられない。

藤岡市民体育館で起きた心霊現象

体育館

日航機墜落事故当時、犠牲者の遺体を安置する場所として選ばれたのが藤岡市にある市民体育館であった。エアコンもない体育館の中では遺体が腐り始め、腐臭と死臭、線香の臭い、ホルマリンの臭いなどが充満していたという。

この体育館では天井に亡くなった人の顔らしきものが浮かび上がるという心霊現象があったそうだ。なお遺体安置時の臭いがとれなかったため、藤岡市民体育館は取り壊されている。現在は跡地に藤岡市民ホールが建設され、敷地内には石碑が建立されている。

総括:御巣鷹山(御巣鷹の尾根)は軽々しく向かう心霊スポットではない

今回は日本航空123便墜落事故が起きて以降、心霊現象や不思議な話が後をたたない御巣鷹山(御巣鷹の尾根)と、墜落事故について紹介した。この記事のポイントは以下のとおりだ。

  • 日航機123便墜落事故が起きたのは群馬県の御巣鷹山ではなく高天原山の尾根
  • 日航機123便墜落事故は世界でも最大規模の被害者を出した航空機事故であった
  • 責任の所在は明らかにならず、多くの人が事故に対して疑問を感じる幕引きをした
  • 日航機123便墜落事故には隠された真実があるのでは?という憶測からさまざまな噂が流れた
  • 噂のなかには自衛隊に関するものも多かった
  • 御巣鷹山周辺では心霊現象の報告も多数されている
  • 心霊体験のなかには救助に携わった方々のPTSDと思われるものもある

御巣鷹山(御巣鷹の尾根)は、言うまでもなく凄惨で悲しい事故が起きた現場であり、自己犠牲者の遺族の方々にとっては大切な場所である。

とくに慰霊の園の周辺は納骨堂があるせいか、群馬県内でも屈指の心霊スポットとされているが、決して肝試しや観光気分で軽々しく立ち寄って良い場所ではない。

もし御巣鷹の尾根に行くのであれば、後世にまで語り継がなければいけない事故が起きた現場だということを理解したうえで、犠牲者の方々を悼む気持ちと、救助活動に参加した方々への敬意をもって向かうべきだろう。

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